HOME » 活動的コミュニケーション » ミクシィ(mixi)は家畜たちの楽園
ミクシィの運営者が利用者に対する姿勢は常に一貫している。ミクシィの目的は私たちを飼い続け、その数を増やし続けることにある。
ミクシィだけでなくモバゲーと呼ばれる携帯サイトもまた同じシステムを採用している。ミクシィが日記を公開する場所を提供したように、モバゲーは無料のゲームを提供することをエサ(撒き餌)にして、利用者を甘い罠にかける。彼らは私たちを囲い込み、飼い殺しにしようとする。これはアメーバブログやlivedoorブログなどといった芸能人を撒き餌として使う各種ブログもまた同様である。
私たちをエサで釣り、囲い込み、仲間と共に群れなす群畜として飼育、育成、増産することこそが、これらメディアの本質である。その意味では家畜の飼育と同じである。
こうして仲間を求める迷える子羊たちが安全なコミュニティという幻想の檻の中で群をなす。なぜならミクシィやモバゲータウンは、常に仲間からの反応が刺激物(エサ)として供給される尽きない消費の王国だからだ。
ミクシィやモバゲーや各種ブログは一貫した下心や目的のもとに利用者に向き合っている。利用者に下心を込めたサービスを提供している。現代の竜宮城で生きたまま飼い殺しにしようとする。むろんその事実を自覚している利用者は、僕を含めてそう多くない。自らの目的と立場から積極的にミクシィを利用している者たちは、おそらくミクシィを自分自身のビジネスと絡めて自覚的に利用する一部のプロに限られる。
そこで今回は私たち一般人とミクシィとの付き合い方を考えるために、プロの表現者がいかにミクシィを利用しているかについて考えてみたい。
ビジネスといっても、それは単純なミクシィの商業利用を意味するものではない。
もちろん利用規程に違反してミクシィで商売をしている者も多くいるだろう。しかしここで問題にしているのは彼ら違反者ではない。ここでいうビジネス利用者たちとは、自らの利害関係を冷徹に計算し、商売上の明確な目的意識を持ってミクシィで表現行為を行っている者たちのことである。
なぜならプロの表現者とは自らの政治的な立場や利害関係に対して深い理解を持ち、その自らの立場から、明確な目的意識を持って自覚的に表現行為を行う者を意味するからである。その意味でミクシィにおいてはビジネス利用者たちこそが、プロの表現者として相応しい。
中にはミクシィ側から頼まれ、きちんとした報酬をもらうケースもあるだろう。事務所が絡んだ芸能人のブログも同じである。そこには打算と現実的な利害関係が存在している。
彼らプロの表現者は、ミクシィに文章を書くことで現実的な実利やメリットをきちんと確保している。
彼らにとって表現行為は、それそのものが目的なのではなく、実利を得るためのビジネス手段にすぎない。そのためミクシィにも足元を見られずに済んでいる。
プロの表現者はミクシィと納得ずくで対等に付き合っているのであり、そこには「自分も勝ち、相手も勝つ」というビジネスで言う「Win-Win」関係がきちんと成立している。自分を安く買いたたかれず、高い値段でミクシィと取引するためには、明確な目的意識と、自分自身に対する深い自覚が必要なのである。
プロの表現者と一般人を分けるのは、表現者としての能力でも、社会的な立場の違いや金銭でもない。
■プロの表現者としての自覚三要素
- ①目的意識を持っているか。
- ②表現行為を行う自分の立場への理解。
- ③論理的な反省があるかないか。
ビジネス利用者たちのミクシィとの付き合い方には、明確な目的意識と、自らの立場の自覚、そして具体的な行為の遂行という因果関係で結ばれた一連の流れがきれいに成立している。ちょっと立ち止まって考えてみればすぐに自分が何者かがわかるだろう。重要なのはいつの時代も常に「汝自身を知る」ことである。
本人が自覚しているかどうかは別として、表現行為に留まらず、あらゆるプロの行為の背後には、常に自らの行為に対する論理的な反省が存在している。これは大前提としてある目的を立て、小前提として多様な手段を検討し、結論として現実的な手段を選択するというアリストテレス以来の実践的三段論法の具体的な現れである。
もちろんそれはビジネス利用者だけではない。その意味では自ら論理的な反省を行い、自覚的に表現行為を行っている者は、誰しもがプロの表現者なのだ。
表現行為を行う自分自身への自覚、そのために論理的な反省を行っているか否か、それがプロの表現者と家畜たるミクシィ利用者を分かつものである。
私たちが竜宮城の家畜ではなく、対等な人間となるためには、論理的な反省こそが必要なのである。
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